高取城跡

高取城高市郡(明日香村/高取町)
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高取城跡の概要/見どころ

奈良県高市郡高鳥町。築城されたのは元弘二年(1332)とされる。南朝方についていた越智氏が築城したのが始まりだ。戦国時代、勢力を拡大した一向宗門徒が高取城を取り囲んだが越智氏は筒井氏と手を組んで一向宗徒を敗走させた。

天正八年(1580)、畿内の覇者になった織田信長の命令により一時期廃城とされるが、本能寺の変後に筒井氏によって本格的城塞へと改修された。

天正十三年(1585)、筒井氏が伊賀上野に移されると大和国の支配権は大和大納言こと豊臣秀長の手に移った。秀長が郡山城に入城すると、高取城には脇坂安治・本多利久など秀長の重臣が入った。本多利久は高取城に大改修を加え、大名屋敷や侍屋敷が整備された類を見ない山城へと変貌させた。

関ヶ原の戦いに際して本多氏は東軍として戦ったため、高取城は石田三成の兵によって攻められた。しかし、高取城は守りの堅さを活かして西軍を撃退した。戦いの後、本多氏は1万石を加増され、高取藩2万5000石が成立した。本多氏が跡継ぎなく絶家となったのち、高取藩主となったのが植村家だ。以来、明治維新に至るまで植村氏が14代にわたって藩主となった。

明治維新後、整備されなくなった城の建物はほとんど失われたが、石垣など当時の遺構はほぼ完全な状態で残され、現在でも見ることができる。

高取城跡の営業時間

特になし

高取城跡の料金

特になし

高取城跡のアクセス

公共交通機関(電車/バス)

近鉄電車吉野線「壺阪山駅」から奈良交通バス「壺阪寺前」下車:徒歩約50分
近鉄電車吉野線「壺阪山駅」:徒歩約90分

自家用車

南阪奈道路葛城IC
駐車場:高取町観光案内所の「夢創舘」横/児童公園近くの観光駐車場

高取城跡の体験レポートはこちら

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